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宮城県栗原市花山草木沢原井田

震災前取材

狐雲(こうん)屋敷は、花山村に所在した佐藤家住宅を移築したもの。

佐藤家は、もと姉歯氏の重臣であったが、後に遠藤氏の家臣となり川口村に移住、その後帰農した。幕末期に肝入、その後村長を勤めた家柄である。

七代目当主の佐藤重太郎は、この地で生まれ育ち、後に江戸で最大の道場を持つにいたる幕末の剣豪、千葉周作の剣士としての天分を認めた人と言われている。

重太郎は、狐雲と号し、この屋敷で隠遁生活を送っていたが、学問、趣味にたけ、人徳も篤く、多くの人と親交を持っていた。

その中の一人に、周作の父の幸右衛門がおり、その縁で周作も狐雲と知り合うようになった。