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宮城県栗原市築館薬師台

震災前取材

双林寺は境内にある姥杉にちなみ、杉薬師とも呼ばれている。

かつてここには興福寺と号する天台宗寺院があった。孝謙天皇(在位749~64)が病いにかかったとき、その原因を占うと、奥州の地にある大杉の精が病いを引き起こしていると出た。使者を遣わし調べたところ、栗原郡に空高く聳える大杉があった。これを伐りたおしたところ、孝謙天皇の病はたちどころに治ったという。そこで、大杉の跡に一宇を建て、のちに薬師像を刻ませて安置したという。

かつては、天台宗の伽藍48坊を構えていたが、度重なる火災で一堂を残すだけで荒廃した。天正年間(1573~92)に中興開山し曹洞宗双林寺と改称した。現在の建物は寛政年間(1789~1801)の建築と見られ、石越生まれの棟梁菅原卯八師の造成と言われている。蛙股造り三間四面の堂で釘を一本も使わず、くさびでしめてある。

薬師瑠璃殿の本尊は「薬師瑠璃光如来坐像」といい、全体を1本の欅材から丸彫りにつくり上げたもので、東北地方に現存する仏像では最古の一つといわれており、国指定重要文化財である。また、木造増長天立像木造も国指定重要文化財で、薬師如来坐像を納めた厨子の左右に立っている木造持国天立像の四天王のうちの2体。素地に彩色した欅の一木彫で下に踏んでいる邪鬼も一緒に彫り出している。