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宮城県名取市植松西向

館腰神社のすぐ前を通る奥州街道の、川内沢川にかかる橋のすぐ南に「芭蕉の句碑」が建っている。別名「笠島塚」、「芭蕉塚」とも呼ばれている。

碑の正面に大きく道祖神路と刻まれた道標石で、北面に道祖神社や実方中将の由来、碑建立の趣旨が説明され、道祖神社、名取川、仙台城下への距離が刻まれている。南面には「笠島はいづこ皐月のぬかり道」と見事な筆跡で刻まれている。

この碑は、以前に「笠島塚」といわれる道標があったものを、安政3年(1856)に仙台の小西利兵衛と地元の人々によって再建されたもの。

元禄2年(1689)、芭蕉と曾良は、福島領から仙台領に入り、白石、岩沼と進み、武隈の松に立ち寄り、実方の墓や「かたみのすすき」がある名取を目指し奥州街道を北へ急いだ。

季節は五月で、五月雨のなか道に迷いたずねたずねてようやく名取にたどり着く。名取における芭蕉の目的は、悲運の歌人藤原中将実方朝臣の塚を訪れることだったが、人に尋ねればこの位置よりさらに一里ほど先だと言う。日は暮れかかり、その上雨の中の悪路で、芭蕉は無念の思いを句に残し涙を呑んで名取をあとにしたという。

笠島は いづこ皐月の ぬかり道