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宮城県角田市鳩原字寺

  慶長15年(1610)頃、伊達政宗の家臣の片平新太夫が、福島の石川郷からこの地に所換えとなった際に、福応寺に毘沙門堂を建てて、守り本尊の毘沙門天を祀った。像は、鎌倉時代の運慶の作と伝えられる。 毘沙門天は、北方を守護する武神として知られているが、この地では養蚕を守る神として信仰を集めている。 毘沙門天像の他に、脇侍として、毘沙門天の妃とも伝えられる吉祥天女像と、毘沙門天の変化神と言われる善尼童子像が収められている。 福応寺の境内には、「千年榧(かや)」と呼ばれる古木があり、寺の歴史を今に伝えている。