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宮城県角田市角田字田袋

かつて柴田町の船岡を中心として、大河原町、角田市にまたがる広大な敷地に、海軍の第一火薬廠が置かれていた。昭和20年(1945)の敗戦により、第一海軍火薬廠は閉鎖されアメリカ軍により接収された。

その後昭和24年(1949)からは、それまで敗戦処理に当たっていたアメリカ進駐軍の縮小、撤退が開始され、広大な空白の敷地が生まれ、この地域の経済は低迷した。この地域の住民にとって、この跡地の活用は重要懸案の一つとなった。

昭和33年(1958)、関係市町村による第一海軍火薬廠跡活用促進期成同盟会が発足し、官民一体となった運動が展開され、昭和35年(1960)には、柴田町に自衛隊が移駐することになった。その後、火薬廠跡地の一部払い下げが認可された事で、自衛隊だけではなくさまざまな跡地活用が進められた。その後企業誘致も成功し、さらに仙台大学や船岡養護学校が設置され、角田には航空宇宙研究所角田支所が設置された。

この地のHⅡロケットの実物大模型は、角田に航空宇宙研究所が設置されたことに因むもので、宇宙研究所ではHⅡ等のロケットに搭載する液体ロケットエンジンの研究開発、試験、及び、将来の再使用型宇宙輸送システムへの適用を目指した再使用型ロケットエンジンや、大気中の飛行時には空気を利用するラムジェット等の研究開発を行っている。

現在、台山公園には、このHⅡロケット模型の他に、子供広場や噴水広場、多目的広場、テニスコート、宇宙展示館、スペースタワーなどが整備され、市民の憩いの場になっている。