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宮城県角田市角田字牛舘

角田の八幡神社は、石川昭光が、旧領である福島県石川郡の石川氏の守護神の八幡宮から、継承3年(1598)に遷座したもの。 石川氏は、永承6年(1051)、源頼義に従って前九年の役に従軍し、その軍功により源義家の代官として陸奥国石川郡泉荘の支配を委ねられ、康平6年(1063)下向して土着したと伝えられる。

石川昭光は、伊達晴宗の四男で伊達政宗の叔父にあたるが、石川晴光の養子となり石川氏を継いだ。石川氏はその周囲を佐竹、葦名などの大勢力に囲まれ、実質的には佐竹、葦名の勢力下にあった。 葦名と佐竹は反伊達連合を結び伊達政宗に対峙し、石川氏もそれに従ったが、人取橋の合戦、摺上原の戦いで伊達政宗は葦名を破り、伊達政宗は南奥の覇者に躍り出た。

ここに至り、石川昭光は伊達政宗に服属し、伊達軍団の一角をなし、その後御一門筆頭となる。 現本殿は安政2年(1855)の建造とされ、建築様式は一間社流れ造りで、組物や彫刻は江戸時代末期の特徴をよく示している。楼門は慶応2年(1866)に造営された2階建ての門で、その彫刻は特に虹梁や蟇股に力が注がれている。