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宮城県白石市斎川

この白石市斎川にはかつて宿場が置かれていた。奥州街道が宮城県に入ると、番所があった越河、次が斎川宿になる。この辺りは、奥羽山脈と太平洋側の阿武隈高地が迫り、奥州街道は山の山腹や峠越えを迫られていた。斎川宿の入り口に当たる鐙摺り坂は、かつては奥州街道随一の難所だった。東北本線に蒸気機関車が走っていたときは、この辺はニ重連の蒸気機関車で峠越えをしていたという。

斎川宿に、松尾芭蕉の頃は、街道の両脇に350軒余りの家並みがあったと伝えられるが、現在はその面影は無く、この検断屋敷跡が往時の宿場の繁栄を偲ばせる。

検断は、仙台藩においては町場に置かれ、伝馬をはじめ、宿駅関係の一切の仕事を取り締まり、統括する重要な職務であった。斎川宿の検断屋敷は、明治天皇が東北御幸の際の休息所となり、門の脇にその碑が建っている。