宮城県白石市西益岡町

 

小関家屋敷のこの地は後小路(うしろこうじ)と呼ばれ、白石城の北、三の丸の外堀にあたる沢端川に面した町並みにある。この地は中級家中の屋敷地である。平成3年(1992)、主屋・門・塀が小関家から白石市に寄贈され、現在公開されている。

主屋は北面して建つ。桁行7.5間、梁行4.0間の直家で、土台のない石場建。屋根は寄棟造、茅葺で裏手に櫛形の煙出し破風を付ける。座敷廻りは真壁造、台所廻りは大壁造となる。

上手の前面に「なかま」と呼ぶ正座敷、その裏側に「なんど」をとり、これら二室の下手に広い一室構成の「ちゃのま」を配した『広間型三間取』の極めて簡素な間取である。

「なかま」の奥に「床の間」を、表側に「平書院」を付け、棹縁天井を張るが、他室は天井がなく 、また板敷である。その平面形状、架構手法とも極めて素朴、古式で、仙台藩の250年を経た古民家のそれと殆ど異なるものがない。農民住宅を素地として、次第に武士住宅としての体裁を整えてくる過渡的形態と考えられる。

小関氏は、松前家中の小関元直の次男の元成が12歳の時に、松前家から四代片倉小十郎村長に嫁した少林院市子の方の添人として白石に来て片倉家中になった。享保元年(1716)には番士に編入、その後は奥方用人として活躍した。

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