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宮城県白石市大平中目字太平脇

別名:泰衡館

文治5年(1189)、源頼朝の平泉征討の折、平泉藤原氏四代、藤原泰衡が立て籠もったと伝えられ、大平の地名は、泰衡に由来すると言われている。

その後、源頼朝の側近である結城七郎朝光が居住したともいわれるが定かではない。戦国期には、中野目日向守長政が居住していたと伝えられる。中野目氏は、代々刈田郡中ノ目に居住し、弘治4年(1558)、伊達晴宗より一族に列せられ、その後子孫は江刺郡上門岡に移封された。

館跡は、比高28mの独立丘陵上にあり、東西約180m、南北約300mの大きさで、頂部 の主郭部は約140m×40mほどの平場となっている。平場の周囲には一部土塁が見られ、地形から考え、丘陵の周囲は水堀が巡っていたと考えられる。