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宮城県栗原市栗駒菱沼字竹林…往生寺

震災前取材

この地の往生寺には、次のような伝説が伝えられている。

凡そ八百年も昔、この菱沼の地に一人の欲の深いお百姓がおった。また、牛飼村にはそれと正反対の、正直で信心深い貧乏なお百姓が住んでいた。

ある日、この牛飼村の貧乏なお百姓のところに、旅のお坊さんが一夜の宿を求めた。お百姓さんはこのお坊さんを親切にもてなした。ところが何日経ってもこの家を去ろうとせずに、すっかり居ついてしまった。しかしこのお百姓は、これも仏様の縁だろうと考え、嫌な顔一つせず世話を続けた。

ある夜、このお坊さんがお百姓の夢の中に現れ、「拙僧、長く信施を受けながら読経念仏もせずにいることは罪である。今畜生に落ち、この家の信心に報いるものなり」と言う。不思議な夢を見たものと、お百姓がお坊さんの部屋に行ってみると、なんとお坊さんは大牛になっていた。

この牛は力が強く、農作業や駄賃取りに大変よく働き、お百姓の暮らしも次第に楽になり、お金持ちになり、何不自由の無い暮らしを送ることができるようになった。これを伝え聞いた菱沼の欲張りお百姓は、自分もこれにあやかりたいものと、旅のお坊さんが来るのを待ちかねていた。

ちょうどこの頃、法然上人は浄土宗を広めるために、各地にその弟子達をつかわし、その中の金光上人が奥州の各地を巡っているうちに、たまたまこの欲深お百姓の家を訪れた。お百姓は大層喜び、上人に一庵を提供することを申し出た。上人はこれをありがたく受けて、この地にとどまり、その教えを広めることに明け暮れた。

この欲深お百姓は、お坊さんを何くれとなく世話をしたが、それはもちろん信心のためではなく、上人が早く牛になることを願ってのものだった。

そんなある日、突然この欲深お百姓は病をおこし、見るみるうちに額に角が生え、顔は人でありながら尻尾が生え、体は黒牛の姿になってしまった。上人はこれを隣れと思い、一心に読経念仏しこの災いを除こうとしたが、このお百姓のこれまでの悪業のせいか効き目はなかった。

上人は急ぎ京に上り、法然上人にこのことを知らせると、法然上人は自らの木像を彫り金光上人に授け、「この像を持ち、急ぎ奥州に帰り、牛になった百姓を救うべし」と教え導いた。

金光上人は早速奥州に戻り、欲深お百姓にこの像を拝ませ、その妻子親族を集めて念仏の修行を促した。そして数ヶ月もすると、この牛になったお百姓から尻尾がとれ、角が落ち、ついに元の姿になった。妻子親族は大いに喜び、この欲深お百姓は悔い改め、髪を切り、金光上人の弟子となり、その後、正牛房と号し生涯を仏に仕えたと云う。

これ以降、この菱沼の地は真似牛と呼ばれるようになった。

この往生寺は、真似牛寺とも呼ばれ、今も寺宝として、変牛の角、爪、尾だと称するものが所蔵されている。