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宮城県亘理町龍円寺前

 かつて、坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折にこの地に来て、蝦夷平定の祈願を行った。その後、慈覚大師が東北巡錫の際に、田村麻呂の遺跡を訪ねてこの地に来たり、観音像を刻み、一宇を造営した。

平泉の藤原秀衡は霊夢により、この地を東北観音の札所とした。 文亀3年(1503)、この地の領主亘理十三代宗元の代に、この地に龍淵寺が建立された。その後亘理氏は、遠田郡涌谷に移り、亘理伊達氏の菩提寺の大雄寺の一庵とされたが、明治になり、その亘理伊達氏は家臣ともども北海道へ渡り、明治晩年にはその庵も廃され、観音像は大雄寺に移された。