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宮城県柴田町船岡南二丁目

第一海軍火薬廠は、昭和初期、航空機の発達や火薬式ロケットの出現により、大量に不足することが予想された機銃火薬や、爆弾用爆薬の補充供給の役割を果たすという軍事上の要請、また東北地方の開発と産業の振興を目的として建設された。

現在の柴田町を中心とした530万m2という広大な敷地に、昭和14年(1939)、海軍火薬支廠として開庁し、後に第一海軍火薬廠となった。当時、総合火薬廠としては東洋一を誇り、終戦時まで、総量約3万トンの火薬、爆薬が製造された。

この火薬廠の職員、従業員は全国各地から集まっており、動員学徒を含め、1万人以上の人々が働いていた。 戦後、これらの広大な敷地の内、本部のあったこの地は仙台大学のキャンパスになり、その他、船岡工業団地、県立船岡養護学校、陸上自衛隊船岡駐屯地、角田ロケット開発センターとなっている。