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宮城県村田町村田字七小路…白鳥神社境内

前九年の役の折に、源頼義は長子の八幡太郎義家とともに多賀の国府に来た。始めは安部頼時らは、頼義に従っていたが、やがて和が破れ、源頼義・義家父子は戦に敗れ、仙南地方に逃れた。

この地には、源義家が村田付近で敵軍に包囲されて危機に陥ったとき、白鳥神社境内のフジの木が二匹の大蛇となって敵を追い払ってくれたという伝説がある。戦の後、この藤の木は「奥州の蛇藤(じゃふじ)」と呼ばれるようになった。

頼義父子は、康平5年(1062)正月に、陣太刀一振を白鳥神社に寄進したと伝えられ、陣太刀は今はなくなってしまったが、義家の自筆といわれる寄進状が残っている。

この藤は、社前の鳥居の内側に、地上を這うこと4m、そして斜め上に1.5m上がり、更に西北に伸びて参道を越え、二株の老杉に巻きつき、しの木の梢まで25mほど上がり、ちょうど大蛇が横たわっているようにも見える。