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 宮城県村田町村田字七小路

 荒川に架かる細い橋を渡った所に白鳥神社が鎮座している。この地は日本武尊(やまとたける)が東征の際に陣を敷いた地であり、尊の薨去後、その父景行天皇が景行53年(123)に勧請したと伝えられる。

日本武尊は、死後、白鳥に化したと伝えられ、そのためかこの地方には白鳥信仰があり、この神社も白鳥大明神と呼ばれている。 弘仁3年(812)には空海がこの地を訪れ境内に定龍寺を開山し、前九年の役の際には、源頼義、義家父子が戦勝祈願し、康平5年(1062)に奉じた義家の寄進状が残っている。

また境内の「奥州の蛇藤」には、源義家が敵に包囲されて危機に陥ったとき、境内のフジの木が二匹の大蛇となって敵を追い払ったという伝説がある。 これらの伝承から文治5年(1189)の平泉征討の折には、源頼朝が宝鏡と太刀を寄進し戦勝祈願をしている。

以来、中世、近世と歴代の領主の崇敬の対象となった。 現在の本殿は承暦2年(1078)、拝殿は元禄元年(1688)に改修された古建築である。また「奥州の蛇藤」の他にも銀杏やケヤキなど、古木が多く残っている。