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宮城県川崎町前川字荒田

  川崎伊達家の初代は、仙台藩三代藩主伊達綱宗と三沢初子の次男で、四代藩主綱村の弟にあたる伊達村和(むらより)である。村和は、元禄8年(1695)兄から3万石を分与されて水沢藩主となり、従五位下、美作守に叙位、任官された。 しかし、元禄12年(1699)、江戸城に登城するとき、旗本と喧嘩して手傷を負わせ、水沢藩はこの事件が原因で改易され、3万石は仙台藩に戻された。村和は扶持米を支給され、宮城郡内に幽閉された。その後、享保4年(1719)になってようやく罪を許されたが、享保7年(1722)に62歳で死去した。 村和の嫡男の二代村詮(むらあき)は、川崎に2千石を賜り、仙台藩の御一門に復し、以来川崎館主として明治維新を迎えるまで、七代にわたり146年間この地方を治めた。