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宮城県川崎町前川字荒

  砂金(いさご)氏は、もとは菅原姓といい、先祖は源義経の家臣で、衣川の合戦の後、川崎砂金に来住し砂金村守護人になったとも、砂金蔵人大夫常重が延元年間(1336~40)に浪人し、奥州に来住したとも云う。また『伊達世臣家譜』等の史料では、この地域に割拠した小野、砂金、支倉の諸氏はみな同族で、柴田郡小野村を領した小野雅楽允の兄弟から出たと云う。 砂金氏は、文明年間(1469~87)に伊達氏に仕えたと云い、伊達氏に属して軍功多く、天文12年(1543)には、砂金常久、貞常父子は、砂金氏所領の村々に打ち入った最上勢を押し返した。 関ヶ原の戦いの後に、十一代砂金右兵衛実常が笹谷街道を押さえる位置に川崎要害を築城し最上氏に備え、現在の川崎町の町割りを行った。 伊達家の中で、伊達氏一族の家格とされ重きをなしたが、元禄15年(1702)に嗣子がなく砂金氏は断絶した。