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宮城県岩沼市押分字北土手

林観音堂は、大同2年(807)、坂上田村麻呂が千手観音をこの地に祀ったのが始まりと伝えられる。本堂はその後焼失し、宝永元年(1704)に再建されたもの。この林観音堂には、その創建に関わる次のような伝説が伝えられている。

坂上田村麻呂が征夷大将軍として、蝦夷征伐のためこの岩沼の地を通ったとき、藤衡という者が将軍に謁見を申し出た。藤衡が言うには、「東の茅野原に化物が棲み、日が暮れる頃になるとあらわれては田畑を荒らし、作物を奪って行く。村人達は恐れおののき、夜になると誰一人外出する者はない。将軍の力で、村人達の苦しみを救って欲しい」というものだった。

将軍はこれを快く承諾しこれを調べさせると、化物の正体は、小さいものでも数尺、大きいものになると八尺にもおよぶ大蟹であった。 田村麻呂は、村人達を集め、大釜を3つ用意させ湯をわかし、茅野原の一方から大蟹に熱湯を浴びせ掛けさせ、大蟹どもがたまらず逃げ出すところを、待ち受けた兵に退治させた。

田村麻呂は、大蟹を退治できたことは里神のご加護であるとして、この地に千手観音を安置し、梵天寺を建立したと云う。 梵天寺はのちに焼失したが、宝暦2年(1704)に正観世音を安置した観音堂を建立された。また、将軍が釜で湯を沸かさせた場所が、現在の「北釜」「相の釜」「長谷釜」「釜の先」などと地名に残っている。