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宮城県岩沼市稲荷町

  竹駒神社は承和9年(842)に、小野篁(おののたかむら)が陸奥守として着任した際、東北開拓、産業開発の大神として創建された。小野篁は、小倉百人一首にも名を連ねる歌人でもあり、小倉百人一首には、

わたの原 八十島かけて こぎ出ぬと 人には告げよ あまのつり舟

と詠っている。 竹駒神社は、祭神は人間の衣、食、住をつかさどる神々で、このため人々の信仰が厚く、奥州藤原氏や歴代の仙台藩主の庇護を受けた。京都市の伏見稲荷大社、茨城県笠間市の笠間稲荷神社、愛知県豊川市の豊川稲荷大社とともに古くから日本三大稲荷の1つに数えられている。 竹駒神社のかつての社殿は仙台藩五代藩主伊達吉村によって造営されたものであったが、平成2年(1990年)に火災で焼失し、現在の社殿は平成6年に再建されたもの。 随身門(桜門)は文化9年(1812)に建築され、彫刻類や意匠に優れ江戸後期の秀作といわれる。神号額は仙台藩七代藩主伊達重村の筆によるもので、神号額の下に掲げられた「丹心報国」の大額は明治の代表的書家中林梧竹の筆による。 唐門は天保13年(1842)に建築されたもので、総けやき造りで、そり曲がった曲線状の破風を取り入れた唐破風造りとなっている。   ・竹駒奴 旧暦2月の初午(はつうま)から7日間「初午大祭」が行われる。五穀豊穣、商売繁盛、家内安全などを願う平安時代から行われている祭りで、同神社最大の年中行事。 この祭りの中で、「神輿渡御」の神事が行われるが、この行列の先頭に、かつて伊達62万石直属の奴として大名行列の先頭を歩いた「竹駒奴(たけこまやっこ)」がのし歩く。竹駒奴たちは、勇壮な掛け声に合わせて槍などを「投げ」「受け」する「毛槍受け渡し」の妙技を披露する。