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宮城県岩沼市二木二丁目
うゑし時 ちぎりやしけむ たけくまの 松をふたたび あひ見つるかな
と歌に詠んだことから、“武隈の松”が陸奥の歌枕となった。 能因法師がここを訪れた時は松は無かったようで、武隈の 松はこのたび 跡もなし 千歳を経てや われは来つらむ
と詠んでいる。 「武隈の松」は、古来、姉歯の松(宮城県金成町)、阿古耶の松(山形市)、末の松山(宮城県多賀城市)と併称される奥州の名松。枯死、又は伐採によって史跡として名のみを残した歴史もあったが、現在の武隈の松は、古来の松と同じ位置に、七代目の二本に別れた松が植えられている。 松尾芭蕉が奥の細道で訪れた時は、5代目のものだったといい桜より 松は二木を 三月越し
の句を残している。