宮城県名取市増田二丁目…増田公民館

 

仙台藩政時代から明治にかけて名取郡の北方検断を勤めた菊地善蔵氏邸内の庭に繁茂していた古木の中に樹齢数百年と思われる大傘の松があった。

明治9年、明治天皇は東北巡幸を行った。当時は鉄道もまだなく、大変な旅行であり、また明治天皇に供奉したのは、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、大隈重信ら当時の政府の重要なメンバーで、総勢148名にものぼるもので、明治維新の時代を一般にも強く印象付けるための国家的なものであった。

この行幸の折に、この菊地邸の大傘の松の近くに行在所(あんざいしょ)がつくられた。明治天皇を迎える増田では、つき臼を30ばかり道にならべ、15、6歳から20歳の若い女性が、すそを高くかかげ、花笠をかぶり紅のゆもじをむき出しに、足にはわらじをはき、肩に紅のたすきをかけ麦つき歌をうたいながら麦つきをして歓迎した。

この休息の際に、随行者の木戸孝允が詠んだ和歌

大君の立寄りましし蔭なれば、衣笠の松とこそいうなかりけれ

と詠み、これを天皇がきき「きぬがさの松」と命名したという。

仙台藩政時代から明治にかけて名取郡の北方検断を勤めた菊地善蔵氏邸内の庭に繁茂していた古木の中に樹齢数百年と思われる大傘の松があった。

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