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宮城県名取市植松四丁目…館腰神社

  延宝のころ(1670年代)、石巻の牧山観音長禅寺に法力非凡の栄存法印という僧侶がいた。しかしその地の代官、笹町新左衛門との間で争いが起こり、代官は権力をもって、栄存法印を女川の江ノ島へ流刑に処した。 法印は無実の罰を嘆き怒り、笹町を恨みつつ江ノ島で没した。一方笹町は栄存法印の亡霊に悩まされ、発狂し家族を切り殺し、一家は断絶した。そのとき、笹町家に女中をつとめていたここ植松出身の佐竹某の妻女が、栄存法印と笹町家の弔慰のため宝永元年(1704年)地蔵尊を奉祀勧請したのがこの日切地蔵尊である。 以来、この尊前に日を切って願をかけるものは、その願いがかなったことから、誰いうともなく日切のお地蔵様と言う様になり信仰をあつめ今に至る。