宮城県名取市愛島笠島字西台

 

 

別名:佐倍乃神社、笠島道祖神社

道祖神社の祭神は、猿田彦神(さるたひこかみ)と天鈿女命(あめのうずめのみこと)の夫婦神で、景行天皇時代に、日本武尊の勧請によるものとする説や、天平年間に孝謙天皇の皇太子である道祖王を祀ったという説などがある。

文録元年(1592)、仙台藩藩祖伊達政宗が社殿を修繕したと伝えられるが、慶長7年(1602)に野火により社殿、古来の宝物、文書などをすべて焼失した。現在の拝殿は入母屋造りの棧瓦葺で、元禄13年(1700)、四代藩主綱村が建立したものとされている。

祭神の猿田彦神は、天孫降臨の際道を開き案内した事から道の神と伝えられ、天鈿女命は、天照大神の岩戸隠れの際に舞を踊り、天照大神を岩戸から導き出した神として知られ、芸能の神として知られている。またこの両神は夫婦神であるため、縁結び、夫婦和合の神としても尊崇されている。

陸奥守として多賀城に赴任していた藤原中将実方が、馬に乗ったままこの道祖神の前を通ろうとしたとき、村人が「下馬し、再拝してお通りください」とこれを諌めた。

村人の話によると、この道祖神は、都の賀茂の河原の西一条の北の出雲路の道祖神のむすめだったが、勘当されてこの国へ下され、土地の人がこれを崇めて神として祀ったもので、身分によらず男女ともに願い事があるときは、陰部を形作って神前に供えてお願いすれば、叶わずということなかったということだった。

この道祖神の由来を聞いた実方は、「さてはこの神は下品な女神ではないか。下馬して再拝するに及ばず」と言い、馬を打って通りすぎたところ、馬が暴れて落馬し、それがもとで病の身となり命を落としたとされる。

元禄2年(1689)、松尾芭蕉は高名な歌人でもあった藤原実方が没したこの地を訪れようとしたが、五月雨のなか悪路に阻まれ、この地をたずね当てることができなかった。この地の一里ほど南東の旧奥州街道の地に芭蕉の無念の句碑が立ったいる。

笠嶋は いづこさ月の ぬかり道

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です