宮城県仙台市太白区秋保町馬場字本小屋付近

別名:最上街道

この街道は、宮城県と山形県を結ぶ街道で、宮城県内では南から、七ヶ宿越え、笹谷峠越えに続く三番目の峠越え道だった。

「二口」という名称は、藩境に近い御境目守の屋敷付近から、山伏峠と清水峠に分かれるところからこの名がついたと云われている。

街道の起源については明らかではないが、秋保不動尊が山寺立石寺の奥の院との伝承もあり、慈覚大師の山寺開山説などから、山岳修験者の手により開かれたとも云われている。

戦国時代末期には、軍用道路として重要な役割を果たし、近世以降は、仙台・山形間の交易路としても重要だったが、関山街道、国鉄仙山線の開通によりその任を終えた。

 

・野尻足軽集落

二口峠越街道沿いの宿駅のうち最も県境に近いこの集落は、藩政期には百姓生活者が一戸もなく、22戸すべてが足軽だった。

領内の要地17ヶ所に土着していた御郡奉行支配の在御足軽の一つで、一人当たり二両の扶持が支給されていた。当時、各所に散在していた屋敷は、道路沿いに互いに向き合う形で、一直線に集められた。この配置は、炉辺から直接通行人を監視する軍事上の目的によるものと云われ、今でもその旧観をとどめている。

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