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宮城県仙台市太白区秋保町湯元字薬師

  古墳時代の後期、欽明天皇(在位531~570)は、あるとき皮膚病を患ったので、医術を尽くし、また諸所の温泉で治療を試みたがその効果は現れなかった。そのようなとき、 古代東北他方の一温泉である秋保温泉の湯も、遠く都のある大和の地へ搬送され天皇が沐浴をされる機会を得ることになるが、 なんと病はたちまちに全快したと言う。欽明天皇は大変喜ばれ、「御湯」の称号と御製を賜ったと伝えられる。

御製:覚束な雲の上まで見てしかな鳥のみゆけば跡はかもなし

秋保温泉の名はこのころから記録に出始め、以後「拾遺集」「大和物語」などにも歌われ、 名取川の上流に、「名取の御湯」といわれる霊験あらたかな温泉があるということが遠く大和地方にも知られた。順徳天皇のときには、皇室が選ぶ日本の名湯9ケ所の中に、信濃・名取・犬養の三温泉だけが「御湯」という称号がついており、 古来これらは「日本三御湯」と称せられるようになった。 奈良、平安期は、多賀城に赴任してくる中央の国司官人たちの保養及び療養をする温泉として栄えた。