宮城県仙台市太白区茂ヶ崎一丁目

 

大年寺は、往古の野出口山城跡に、元禄10年(1697)に仙台藩四代藩主伊達綱村が鉄牛和尚を招いて開いた黄檗宗の禅寺。 大年寺建立後、伊達綱村は黄檗宗に帰依し、そのため綱村以降の仙台藩主の菩提寺になった。

仏殿を中心に多くの塔頭が並び、綱村以降の霊廟を司る一門格として市内有数の大寺院であった、明治維新後に取り壊され、現在はこの惣門が唯一の建築遺構となっている。

惣門の建築年代は装飾技法から江戸時代中期における独特な外観を持つ門で、黄檗宗建築として貴重な遺構であり、創建は五代藩主伊達吉村の享保初期頃と思われる。

切妻造、本瓦葺で、裏側の控柱の上にも屋根がある高麗門の形式であり、本柱の両脇にも支柱を建て屋根をかけている。全部で5つの屋根を持つ複雑な外観となっている。

大年寺 のかつての参道の石段は、その両脇は石畳のスロープ状になっている。地元に伝わる話によると、この両脇の石畳の道は、伊達の藩主が馬で上り下りをして騎馬の練習をしたと伝えられている。

伊達政宗が仙台城を築城するに当たり、その候補地として、青葉山、榴ヶ岡、石巻の日和山、そしてこの大年寺山を候補地としたと伝えられる。大年寺 の地にはもともと茂ヶ崎城という山城があって天然の要害の地でもあった。そのためこの地は多分に仙台城の南を固める出城としての役割を担っていたという。そのためか仙台城から大年寺山にいたる山間道は一般人の通行が禁止されていた。

地元に伝わる話では、大年寺惣門付近に林の中を抜ける小道があり、これは攻め手にさとられることなく兵を移動するための軍用道で、これを常に確保しておくために山守がおかれたという。

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