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宮城県仙台市太白区郡山五丁目

  現在の仙台地方には、古墳時代から大和政権の影響力が及んでおり、東北地方最大の雷神山古墳(名取市)などの前方後円墳が造られていた。古墳時代後期には、厚葬禁止の令に従い、横穴式古墳も多く造られた。郡山官衙は、多賀城が置かれる以前の陸奥への大和政権の足がかりだったと考えられる。 この官衙は、7世紀中期から後期にかけて置かれたものと推定され、Ⅰ期官衙およびⅡ期官衙とそれに付随する寺院が確認されている。 多賀城以前の官衙(郡山遺跡)は、現在の仙台市太白区郡山に設置された。Ⅱ期官衙は、一辺が約430mの正方形で、南側には寺院の跡が確認され、その東には官舎と思われる建物群が確認されている。外郭は凡そ6千本の丸太が隙間なく並べられていた様子があり、その外側に、幅3~5m、深さ1m以上の大溝が巡らされていた。また南側には、門跡と見られる遺構があり、柱の一部が発掘されている。 政庁としての役割はもちろんのこと、軍事的な役割も持っていたと考えられる。神亀元年(724)に陸奥国府・鎮守府として多賀城が創建されてからは、その役割は終えたと考えられる。