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宮城県栗原市一迫字北沢十文字

震災前取材

第二十五代武烈(ぶれつ)天皇は、その性向が暴虐であったために、奥州に配され、寵臣の久我大連(くがおおむらじ)と鹿野掃部祐(かのかもんのすけ)を伴いこの一迫の地に下った。武烈天皇はこの地で崩御し、のちにこれを祀り山神社と号したと伝えられる。

天皇の配所、もしくは神として祀った地を天皇山、久我氏がいた地が王沢だと伝えられる。久我家には宝物として、陣釜、神鏡が伝わる。また、阿吽の御璽などが神社に保管されているという。