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宮城県仙台市太白区四郎丸字戸ノ内

  四郎丸館跡は、名取川南岸の標高2~4mの自然堤防に立地している。古くから中世の館跡として知られていたが、調査の結果、館跡に係わる遺構や遺物が発見されたほか、近世の屋敷跡や平安時代の集落、古墳時代の方形周溝墓の存在が明らかとなった。 この自然堤防上には、多数の遺跡が連なっており、付近からは古墳時代前期の方形周溝墓が数基発見されており、古い時代から開発が進められていた地域と考えられる。 四郎丸館は、平将門を討った藤原秀郷の家臣名取四郎の居館と伝えられる。その後、この地は平泉藤原氏の支配するところとなり、名取氏もその支配下にあったと思われる。源頼朝の平泉征討後は、曽我氏が支配し、室町末期には伊達家家臣菅井和泉守の居館となったと伝えられる。