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宮城県仙台市若林区霞目二丁目

 谷風梶之助は本名は金子与四郎。寛延3年(1750)今の仙台市若林区霞目で生まれた、大相撲力士で4代横綱。小野川喜三郎とともに実質的な横綱第1号とされ、大相撲史上屈指の強豪。

安永6年(1777)から天明2年(1782)に小野川に敗れるまで、土つかずの63連勝を達成した。これはのちの昭和の時代に、双葉山が69連勝を達成するまで、約150年にわたって記録保持者であり続けた。江戸本場所における通算成績は、49場所254勝14敗16分16預5無勝負106休で、勝率.949、優勝相当21回と「天下無敵」の名にふさわしい記録が残っている。

体格は、全盛時代で身長189センチ、体重169キロのアンコ型巨人だったと伝わる。 寛政元年(1789)、小野川とともに横綱を免許される。この時が実質の横綱制度の発祥とする見方が、現在では定説である。将軍徳川家斉観戦の寛政3年(1791)、小野川と上覧相撲をおこなう。このとき将軍家より弓を賜り、これを手に土俵上で舞ってみせたのが現在の弓取式の始まりとされる。

小野川喜三郎や後続の雷電爲右衞門らとともに、寛政に最初の相撲黄金時代を築いた。上述の横綱制度や、弓取式など現在までのこる相撲界の形式の多くがこの時代に形作られた。 流行病のために44歳で35連勝のまま現役死した。