宮城県仙台市若林区荒町

 

毘沙門堂は、寛永20年(1643)の造営と伝えられる。毘沙門天は多聞天ともよばれ四天王の一神である。忿怒の相を示し甲冑をつけ右手に宝棒をもち、左手に宝塔を捧げる武神で、荒町の毘沙門堂に祀られている。本来、毘沙門天は戦いの神であるが、この毘沙門天は子育ての神として信仰を集めている。

これには以下のような伝説がある。

伊達政宗は、仙台地方の粟野氏の居城をなかなか攻め落とすことが出来ないでいた。兵達は「くもの巣が垣根みたいにまいていて城に近よれない」とか「黒い雲が城をすっぽり覆っている」などと話し、伊達軍の士気は上がらなかった。粟野の殿様は、戦の神の毘沙門天に信仰があつく、毘沙門天が城を守っていると兵達はささやきあっていた。

それを聞いた政宗は、「もし勝つことが出来たのなら我が城下に立派な毘沙門堂を建立しよう」と毘沙門天に願をかけた。その後に粟野氏を攻めたところ、今までの苦戦がうそのように城を攻め落とすことができた。よろこんだ政宗は、粟野氏の城から毘沙門天像を持ち帰ったのだが、その途中、政宗は考え、「毘沙門天のご利益はすごいが、もし誰かがわしを倒せと祈願したらそれもききとどけられるかもしれない」と考え、途中の堀に毘沙門天像を投げ捨ててしまった。

この毘沙門天像を、その後この地の子供達が見つけ、里人達はそれを引き上げてお堂を建てて奉った。これが現在の荒町の毘沙門堂で、この毘沙門天はいくさの願かけには耳を貸さず、子供達のための願いを聞くようになったと云う。