宮城県仙台市若林区沖野七丁目

 

沖野城跡は、陸上自衛隊霞目飛行場の南側に隣接している。広瀬川によって形成された自然堤防上の、標高6m前後の微高地になっている。面積は、東西約340m、南北約250mの城域であったという。

この城は、建武年間から天正年間にこの地を治めていた粟野氏の出城とされている。調査により二重の堀跡が確認されたが詳細に関しては不明な点が多い。堀跡は上幅7~8m、深さ2m前後の逆台形状の断面形で、方形にめぐると推定される区画堀であることから、城館は方形区画の複合体のような構造と推測される。また土塁を二重に巡らしていたとし、その一部が残っている。

粟野氏は、一時伊達氏に臣従するが、天正19年(1591)大崎葛西一揆の際に、9代粟野大膳亮重国は北目城に篭り伊達政宗に抗戦し、その弟も沖野城に篭り抗戦したが、抗しきれず落城し粟野氏は滅亡した。伊達政宗が仙台に城を築き始めたころから、破壊された城趾に農民が土着しはじめて開田を行い集落をなしたと考えられる。

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