宮城県仙台市若林区木ノ下二丁目

 

陸奥国分寺は天平13年(741)の春、聖武天皇の勅諭により建立された日本最北の国分寺。

聖武天皇は全国60余の国毎に僧寺と尼寺の2か寺を置き、一方の僧寺を金光明四天王護国の寺、もう一方の尼寺を法華滅罪の寺として、国家安穏・疾疫消除を願い、『金光明最勝王経』『妙法蓮華経』等を転読させたとされている。

寺の開基は行基で、創建当時は「寺の華」と考えられていた七重塔が高くそびえ、七堂伽藍・三百坊を数える大寺院であったと伝えられている。七重塔は承平4年(934)、落雷のために焼失し、七堂伽藍、三百坊は文治5年(1189)8月、源頼朝の平泉藤原氏追討の兵火により悉く焼失した。

その後、伊達政宗により、慶長10年(1605)から3か年を費やして、現在の薬師堂、仁王門、鐘楼等が造営された。

 

・仁王門

南大門の位置に伊達政宗が薬師堂造営の際に鐘楼とともに建てたもので、単層入母屋造り、間口3間、奥行2間茅葺屋根で門内の左右には運慶作と伝えられる密迹金剛と那羅延金剛の仁王像が安置されている。仁王像は足が強くなる様にと大わらじがいまでも奉納されている。

 

・薬師堂

慶長8年(1603)、岩出山から青葉城へ居を移した伊達政宗は、国分寺の復興を計画し、慶長12年(1607)10月、旧陸奥国分寺講堂跡にこの薬師堂を再建した。

薬師堂は、桃山様式の方五間、向拝をつけ勾欄をまわした単層入母屋造り、本瓦葺の仙台最古の建造物であり、重要文化財の指定をうけている。堂内の家形の厨子には秘仏の薬師如来像が安置され、須弥壇には日光・月光菩薩像が安置されている。

 

・鐘楼

仁王門と同時代に建立された単層屋根入母屋造で、間口奥行共に二間、梵鐘は享保10年3月の作で、偉大なものだったが、太平洋戦争の際に供出し、現在鐘は、昭和41年再鋳造したもの 。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です