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かつてこの公園の場所には中島を持つ沼があった。古くは大沼と称し、ここから孝勝寺のほとり八つ塚にかけて、谷地や沼が一面に続いていたという。
天正18年(1590)、伊達政宗が岩切城を攻めたとき、この沼のほとりで軍容を整えた。その折、軍装が澄明な水面に映っていかにも勇ましく、かつ壮観であったので、清く涼やかな意味で、「スズ沼」といったと伝えられている。後世「清水沼」と書き「しず沼」と称えるようになった。
藩政期には、この沼のほとりには三軒ほどの料亭が建ち、この沼で取れるヒシやフナや鯉、鰻などを料理して出していたという。
しかし戦後この地域は、下水などのインフラ整備がないまま急激に宅地化が進み、沼に生活廃水などの汚水が流れ込み汚濁化が進み、埋め立てられ公園となった。