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宮城県仙台市宮城野区原町二丁目

  伊達政宗がその居城を岩出山から仙台に移した時に、その家臣の平田五郎政高が、その先住の地だった志田郡堤根村(現在の大崎市堤根)から当時の苦竹村のこの地に遷宮した。 平田政高が、ある時宮城郡神谷沢を通ったとき、狐が群れているのを面白半分に追い払った。その時、狐が光る玉を落としていったという。その狐が夜に若い女の姿でたずねてきて、玉を返してくれるように涙を流して頼み、そのお礼に政高を力持ちにすると言う。政高は気の毒になりその玉を狐に返した。 翌朝、政高は狐の言ったことが本当かどうか、神谷沢にある大きな石碑に両手をかけて持ち上げてみると、簡単に頭の上まで持ち上げることができたと言う。 政高は、この神力もあって度々の合戦に抜群の功をあげ、勇名天下に轟き、伊達政宗がこの苦竹村を通る際には、必ず下馬の上参拝したという。