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宮城県仙台市宮城野区原町一丁目

  宮城郡は、奈良時代の初めに成立したと伝えられ、陸奥の政治の中心をなした多賀城が置かれたことから、「陸奥府城」の意味で「宮城」と呼んだと云う。県名の「宮城」の名称はこの郡名からとられたと伝えられる。 江戸時代、宮城郡国分南目村のこの場所は、仙台藩の代官や地方役人が勤める「宮城郡国分御代官所」が置かれていた。当時の宮城郡は、国分32ヶ村、宮城32ヶ村、高城13ヶ村、計77ヶ村からなる、仙台藩の中心をなす大きな郡だった。 明治4年(1871)、それまでの郡町村名が廃止されたとき、この地の御代官所は、第二大区事務取扱所となった。また一部は小学校の仮校舎としても使用された。 明治11年(1878)、江戸時代の郡名が復活し、この地に宮城郡役所が置かれ、明治35年(1902)には建物が新築された。 大正15年(1926)、郡制が廃止され、それまで、原町、塩釜町、広瀬村、大沢村、根白石村、七北田村、七郷村、高砂村、七ヶ浜村、多賀城村、岩切村、利府村、松島村、浦戸村の2町12ヶ村の治府としての役割を終えた。