宮城県仙台市宮城野区榴岡四丁目…孝勝寺境内

 

元禄8年(1695)、仙台藩四代藩主伊達綱村公が生母三沢初子の冥福を祈るために、榴岡の、現在宮城県公文書館の場所に建立した。その際に、 榴岡の地を、枝垂桜、彼岸桜、松、楓など千株あまりを植樹し、四民遊楽の地とした。

三沢初子は尼子氏の重臣三沢清長の娘で、三代藩主綱宗の側室となり、亀千代(四代綱村)を生む。一般に伊達騒動といわれる伊達家のお家騒動、寛文事件を素材とした歌舞伎「伽羅千代萩」の政岡のモデルとしても知られている。貞亨3年 (1686)四十八歳で没す。墓所は榴岡五丁目にあり、釈迦堂は現在、榴岡四丁目の孝勝寺に移築されている。

仙台藩三代藩主、伊達綱宗は遊興放蕩三昧であった為、家臣と親族大名の連名で幕府に綱宗の隠居と、嫡子の亀千代(後の伊達綱村)の家督相続を願い出て、綱宗は21歳で強制隠居させられ、4代藩主に僅か2歳の伊達綱村が就任した。

藩主が幼少であったこともあり家中はまとまらず、伊達兵部宗勝は、家老の原田甲斐宗輔らと藩権力の集権化を行い、地方知行制を維持しようとする伊達氏一門と対立する。

このような中で、三沢初子は12年にわたり幼君亀千代を守って辛労した。

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