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宮城県仙台市宮城野区榴ヶ岡…県公文書館敷地

  仙台藩四代藩主伊達綱村が、生母の三沢初子の没後10年目にあたる元禄8年(1695)に、その冥福を祈るため、母が生前護持していた釈迦像を祀る仏堂とともに、自ずから碑文を起草し建立した。 碑文には、「母の慈仁の志」や「子の誠孝の意」といった親子としてあるべき道が説かれている。 仙台藩三代藩主、伊達綱宗は遊興放蕩三昧であった為、家臣と親族大名の連名で幕府に綱宗の隠居と、嫡子の亀千代(伊達綱村)の家督相続を願い出て、綱宗は21歳で強制隠居させられ、四代藩主に僅か2歳の伊達綱村が就任した。その後、小説「樅の木は残った」や歌舞伎「伽羅先代萩」の題材となったことで知られる「伊達騒動」(寛文事件)に遭遇することになる。 その事件に際し、三沢初子は12年の長きににわたり幼君亀千代を守って辛労した。その母初子は、仏道に深く帰依し小さな釈迦像をいつも身に着けていたことなどから、綱村は形見となった釈迦像を祀った釈迦堂を建立し、また、母の徳を後世に伝えようとしてこの石碑を建立したといわれている。 釈迦堂は、宮城県立図書館が建てられた為に、近くの孝勝寺に移築された。