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宮城県仙台市宮城野区榴岡五丁目

駅東が開発されて新しい街並みになり、その中にぽっかりと空いた空間に政岡の墓と呼ばれている墓地がある。

この墓地は、寛文事件(伊達騒動)をモデルにした歌舞伎「千代萩」の政岡は、四代仙台藩主の伊達綱村の生母、三沢初子だと言われており、この墓地はその三沢初子ら、伊達藩の女性達の墓地である。

・三沢初子の墓
三沢初子は尼子氏の重臣三沢清長の娘で、後に三代藩主綱宗の側室となり、亀千代(四代綱村)を生む。貞亨3年(1686)四十八歳で没す。
法名 浄眼院殿丁岳日厳大姉 寛文事件(伊達騒動)の時には、十二年にわたり幼君亀千代を守って辛労した。歌舞伎「千代萩」の政岡は、三沢初子をモデルにしたものと言われている。明治初期までは本殿、唐門、拝殿があったが伊達家の祭祀が神式に改められて撤去された。

・徳川振姫の墓
徳川振姫は姫路城主池田輝政の娘で、二代将軍徳川秀忠の養女となり、後に二代藩主忠宗の正室となる。万治2(1659)年五十三歳で没す。法名 孝勝院殿秀岸日訊大姉

・稲葉仙姫の墓
稲葉氏仙姫は小田原城主稲葉正則の娘で、後に四代藩主綱村の正室となる。宝永3年(1706)四十八歳で没す。法名 万寿寺殿宝蓮浄晃尼大姉