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宮城県仙台市宮城野区五輪一丁目…榴ヶ岡公園

震災前取材
  吾妻鏡には、この地はかつて平泉軍が鎌倉軍を迎え撃つ時の本陣の地とあるが、遺構は発見されていない。河原町より国分寺を通る東街道がこの南側を通っており、長町、名取方面を指呼の間に臨むことが出来 た。東街道を北上する鎌倉軍を大軍をもって迎え撃つには絶好な地と言える。 この地は仙台市の東部地区、宮城野原の北西部に位置する高台にある。かつては東は宮城野原から坂下、そして太平洋まで、南は宮城野原から長町、河原町まで見通せた。北は小田原に、西は鉄砲町、二十人町にゆるく傾斜している。 伊達政宗が仙台城を築城するに当たり、その候補地として、青葉山、大年寺山、石巻の日和山、そしてこの榴ヶ岡を候補地としたと伝えられる。