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宮城県仙台市宮城野区苦竹二丁目

  仙台藩二代藩主伊達忠宗は、正保2年(1645)、福田町に68軒の足軽町を設け、寛文10年 (1670)から七北田川を付け替え、舟曳堀を現在の鶴巻から苦竹まで掘削、工事は4年間を費やし、寛文13年(1673)に完成した。 この地には、苦竹舟溜りと苦竹御蔵11棟が造られ、仙台城下への、米、塩、木材を搬入する基地とした。これらの物資は、一旦鶴巻の舟溜りに運ばれ、そこで小舟に積み替えられ、両岸の土手を人によって曳かれ、この地の苦竹御蔵に運ばれた。 当時苦竹周辺は、七北田川と梅田川の流路が定まらず湖沼地帯だったが、この工事により新田も多く開墾された。