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宮城県仙台市青葉区郷六字屋敷

  郷六御殿は、四谷堰取り入れ口の下流、広瀬川の南岸に伊達家の遊憩の場として、四代藩主伊達綱村により貞享4年(1687)に造営された。 仙台城からこの郷六御殿には、御裏林から旧最上街道が続いていた。伊達の時代には御裏林への一般の者の立ち入りは禁じられており、このルートが仙台城落城のときの立ち退き路であると伝えられている。郷六御殿が、この立ち退き路における何らかの役割を持ったものとの説もあるが、造営されたのが四代藩主の時代であることを考えれば、むしろ立ち退き路への関わりとしては、郷六御殿のすぐ近くの郷六館跡、広瀬川を挟んで向かい側の葛岡城跡がむしろふさわしいものと思える。 郷六御殿は、かつては総面積は約2ha、周囲には深さ3m、幅6mの外堀をめぐらし、楼閣は三層の建物であったという。付近に梅の古木なども植えられ、別名「楽寿園」とも呼ばれていた。現在は住宅と畑地になっており、かつての井戸が今も残るだけで、楼閣は茂庭の大梅寺境内に二層の建物として移築されている。