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宮城県仙台市青葉区霊屋下

  仙台藩初代藩主、伊達政宗は、永禄10年(1567)米沢城に生まれ、18才で伊達家を相続。その後、岩出山、仙台と居城を移し、仙台藩祖として伊達 六十二万石を築いた。 寛永13年(1636)70才で生涯を閉じた伊達政宗の霊屋である瑞鳳殿は、遺命によりその翌年経ヶ峰に造営された。瑞鳳殿は、桃山様式の遺風を伝える、豪華絢爛たる廟建築として、昭和6年 (1931)国宝に指定されたが、昭和20年(1945)の戦災で惜しくも焼失した。 現在の本殿、涅槃門、御供所は、昭和54年(1979)に再建されたもの。工事に先だって行われた墓室調査では、政宗公の遺骨の他、太刀、具足を始め、豪華な蒔絵を施した文具類、更にはヨーロッパ伝来品の金製ブローチ等30数点が発見された。

 

・感仙殿 伊達忠宗は、政宗の死去により二代藩主となり、法治体制の確立、領内の安定に尽力し、藩の基礎固めを成し遂げた。忠宗の霊屋感仙殿は、瑞鳳殿と同様の豪壮華麗なものだったが、明治初年に本殿を除いて取り壊され、残った本殿も昭和20年(1945)の戦災で焼失した。現在の霊屋は瑞鳳殿に続いて再建が進められ、昭和60年(1985)に完成したもの。

 

・善応殿 善応殿は三代藩主伊達綱宗の霊屋で、感仙殿と同様に造営されたが、昭和20年(1945)の戦災で焼失し、昭和60年(1985)感仙殿とともに再建された。綱宗は故あって幕府から逼塞隠居を命じられ、隠居後は和歌、書画、蒔絵等に芸術的天分を発揮した。工事に先だって行われた墓室の調査でも、香道具、文具類等優雅な生活ぶりを偲ばせる副葬品が発見された。

 

・妙雲界廟 感仙殿北側に、九代藩主周宗、十一代藩主斉義夫妻の墓所である妙雲界廟が置かれている。

 

・御子様御廟 参道入口には、五代藩主吉村以降、歴代藩主公子公女の墓所である御子様御廟が置かれている。