宮城県仙台市青葉区芋沢字本郷

 

別名:とけ館、とうげ館

築城時期、築城者については定かではないが、戦国期には、国分氏の一族もしくは家臣の居館だったと考えられる。安永風土記には、花坂勘解由の居館とあり、江六城(郷六館)に郷六左衛門、馬場城(馬場館)に馬場筑前の一門の治部大輔とともに、国分氏の支配下にあったと思われる。慶長年間には、本郷盛重の居館となり、付近には本郷六左衛門盛重を葬った念仏壇などもある。

地元の伝承によると、十七代続いた国分氏が伊達氏に滅ぼされたとき、本郷盛重はこの館に篭り伊達氏と一戦に及んだ。伊達勢は、水浅川の対岸より五人引きの弓で火矢を射て、本郷盛重は武運つたなく討ち死にした。盛重は、地元の人達により館跡に祀られ、現在は陶製の小さな祠がたつ。明治頃までは毎年祭日は盛大なもので、大事な話し合いはこの地で行なわれたといわれている。

本郷館は、東側に長く突き出た尾根の先端部に築かれ、北側は水浅川、南側、東側は広瀬川が流れ、急斜面を形成している。西側は平場となり、空壕三本と土塁二ケ所で防御された山城である。安永風土記によれば、竪五拾四間、横五拾二間とあるが、現在は未整備の山林で、その城域は定かではない。近くには的場と呼ばれた場所もあり国分氏時代に弓の稽古の場所であったと推察される。

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