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宮城県仙台市青葉区東照宮一丁目

  仙岳院は承応3年(1654)、二代藩主伊達忠宗が幕府に願って東照宮を勧請し、その別当寺として創建したもの。創建当時忠宗は、東照宮の祭祀料として五十貫文、仙岳院関係に五十貫文を管理させた。 東照宮遷座式には、伊達騒動の立役者原田甲斐が奉行を勤め、その時のお布施は合計二万両であったという。これらのことは、仙台藩がいかに幕府に気を使ったかを物語っている。 歴代、平泉中尊寺別当を兼ね、仙台藩一門格筆頭寺院として明治に至り、神仏分離により東照宮と分かれた。 慶応4年(1868)7月から10月まで、明治天皇の弟の、輪王寺宮公現法親王(後の北白河宮能久親王)が滞在した。6月に、奥羽越列藩同盟は、輪王寺宮を盟主として据えた。列藩同盟側は、輪王寺宮を「東武天皇」へ推戴し、新朝廷を作る構想 があったという。しかし、列藩同盟や旧幕府軍を率いる榎本武揚らの足並みはそろわず、実現することはなく、仙台藩が降伏した後、輪王寺宮はこの地から京都へ戻った。