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宮城県仙台市青葉区川内亀岡町

  文治5年(1189)に、伊達氏の祖伊達朝宗が、現在の福島県伊達郡に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し、その時に霊亀が現れたところから亀岡八幡と称したと伝えらている。社殿は度々移されているが、天和3年(1683)、仙台藩四代藩主伊達綱村により現在地に再建された。昭和20年(1945)の戦災により社殿は焼失し、石鳥居だけが残った。 この八幡宮の鳥居は東照宮、大崎八幡宮の石鳥居とともに、仙台石鳥居の一つであり、明神鳥居で社殿とともに造られた。井内石(宮城県石巻市井内産の粘板岩)が用いられている。青銅製鳥居額の表面には亀岡八幡宮と陽刻されており、裏面には「享保三戊戌年四月朔日左近衛権中将藤原朝臣吉村謹書」と刻銘があり、仙台藩五代藩主、伊達吉村が献納したもの。 石段の数は年間の日数である365段あったが、現在は削られて335段程になっている。亀岡八幡宮は昭和20年(1945)の空襲で焼失したが、この石段は往時のままの遺構である。 亀岡の地は、仙台城の北西部を防禦する地として考えられていたとも言われており、出丸、砦などにはその地形はうってつけの地形である。