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宮城県仙台市青葉区郷六

  別名:郷六城 低い台地の丘に構えられた平山城で、本郭部は現在畑になっている。西から南に土塁が残り、東には水堀跡と思われるものが残っている。北は見通しのきく平地で広瀬川を擁している。 文治5年(1189)千葉氏が源頼朝の東征に従軍しその功により、千葉胤通が国分二十三邑の領有を許され、国分姓を名乗る。国分胤通は郷六村に郷六城を築城し居城としたが、後に国分千代城に移った。 その後、国分氏一族の郷六大膳盛元(もりもと)の居城になった。郷六氏は、後に伊達氏に帰属し、天正5年(1577)頃に愛子に移り、その後に森田氏と改称している。 この城の近くに郷六御殿が造られ、仙台城二の丸付近から古最上街道も通っていた。当時、この館跡は郷六御殿と併せて、仙台城の立退き路としてのなんらかの役割を持っていたとも考えられる。また、仙台城の御裏林の防禦の役割も担っていたとも考えられる。