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宮城県仙台市青葉区霊屋下
伊達家は古くから稲荷神社を厚く信仰し、居城近くに神社を祀り武運と繁栄を祈願した。藩祖伊達政宗は出陣の際には稲荷大明神に戦勝を祈り、ご神体を家臣に捧持させ、陣営に泰安した。又、夫人愛姫も守護神として深く信仰し、安産を祈願した。
この神社は初め山形県米沢にあり、その後伊達政宗により福島県伊達郡梁川に移され、さらに少林城(後の若林城)の近くの荒井の里に祀られた。
万冶年間(1658~60)現在地より西側、広瀬川の崖の上「鈴の沢」という所の洞窟に、青葉城に向けて建てられ「穴蔵稲荷大明神」と称した。又、西に向かっていたため「夕日明神」とも言われていた。
その後天保六年(1835)広瀬川の洪水で崖崩れに遭い社殿が流出したので、下流の現在地に遷座した。