宮城県仙台市青葉区一番町四丁目

 

現在の仙台市の繁華街の中心部に当たる一番町から東二番町に抜けるこの横丁は、一番町の角に明治33年(1900)に劇場の「森徳座」が出来て「森徳横丁」と呼ばれていた。また、憲兵隊が置かれた頃には「憲兵隊横丁」、仙台地方裁判所があった頃には「裁判所横丁」とも呼ばれていた。

しかし、江戸時代には、南側には小高い土手があり、北側には竹薮があり大きな杉の木が陽の光をさえぎり日中でも薄暗い場所で人通りも少ない場所だった。

この地の近くに、文化12年(1815)、仙台藩の医学校が設置され、構内には施薬所も設けられた。そのようなことからか、この通りに産後の胎盤を捨てると子供が良く育つという俗信が広がり、道の草むらによく胎盤が捨てられた。

そんなことから、野犬がたむろし、鬼火や幽霊が出ると言う噂が広まり「化物横丁」と呼ばれるようになったと云う。

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