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宮城県栗原市若柳字川南上堤

震災前取材

栗原市若柳の西方、迫川南岸の丘陵上にある。東西約150m、南北約130mほどの規模の山城。比高は約30mほどで、山上には現在水道施設がある。

頂上の東西約50m、南北約30mほどの平場が主郭部で、周囲は数段の土段が取り巻いている。北側には二重の大きな空堀があるといい、大手は南面の坂にあったと云う。かつて、この坂に数多くの人形を並べて敵を欺いたという故事から、人形坂と呼ばれていたと伝えられる。

古くは源義家の陣所であったとされ、その後葛西氏家臣の千葉氏の居館だったと伝えられる。天正16年(1588)、気仙郡で、葛西氏家臣の浜田氏が叛乱を起こした際、その討伐軍の中に、三迫新山城主の名が見られる。

また、この山は一夜にして出現したという伝説があり、その伝説から新井山と名付けられたと云う。