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宮城県利府町加瀬字二本木

加瀬沼は、奈良、平安の時代は、多賀城の北の防備の役割を果たしていたと考えられる。現在の大きさは、周囲約4km、面積18haほどである。

江戸時代には、伊達安芸宗重が農民のために堤防を作り、用水池としたという。当時、多賀城の八幡地区には、最上義光に攻められ敗れた天童氏が、伊達政宗から「準一家」の家格を与えられ、1500石を与えられていた。

ここに涌谷伊達家の次男の頼長が、天童家当主、天童頼澄(よりずみ)から数えて三代目の後嗣になり、熱心に領内の治世を行った。この頼長が、涌谷の兄の死去に伴い涌谷に戻り、伊達安芸宗重と名乗った。この伊達宗重は、伊達騒動において原田甲斐と争うことになる。

加瀬沼は、現在は水田かんがい用として利用されているほか、沼の周辺は公園化されている。白鳥や雁の飛来地でもあり、四季を通じて釣りやピクニック、花見やバードウォッチングなどの場所として親しまれている。